cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

昭和38年出会いの記憶(3)

topgan(topgunではない)

昭和38年(1963)の11月22日(金)にケネディ大統領の暗殺事件が起きた。日本でも大きく報道された。ケネディ大統領といえばキューバ危機への対処が有名だ。のちに空自幹部学校の教材にもなった。昭和46年頃のことで現在は知らない。
翌々日の日曜日、山口県下関市小月町にあった空自小月基地(現在は海自の基地になっている)で航空祭があったので家内と一緒に見に行った。当日、国道2号線を歩いていると、ケネディ大統領の死去を悼む学生がデモしているのに出会った。ケネディ大統領は当時の日本の学生にも人気があったのだ。
同年12月にT-1の操縦課程を卒業し、翌昭和39年1月から福岡県築上郡椎田町にある築城基地でのT-33ジェット練習機の課程に入った。T-1とT-33の違いは、T-1が国産の初級ジェット練習機であるのに対しT-33は原型機が朝鮮戦争時代の米空軍のF-80戦闘機であることだ。旧式戦闘機を高等練習機に改修した機体だった。エンジンはT-1の方が新型で推力も同じ、T-1は機体が軽かったので、上昇性能はT-33よりT-1の方が優れていた。T-33のエンジンはコンプレッサーが遠心式で当時のソ連のMIG-15戦闘機と同じだった。現在は遠心式のエンジンは使われなくなった。航空エンジンは隔世の感がある。
戦後、朝鮮戦争時代、福岡県築城基地は、米空軍が駐留しF-80戦闘機を運用していた時代がある。空自ができる前で、米空軍は駐留軍従業員を現地で採用しており、一部をF-80戦闘機の整備員としても作業させていた。米軍が撤退したあとは、空自が駐留軍従業員を引き続き雇用した。空自築城基地も当初から米軍と同じT-33(元のF-80戦闘機)を運用した。したがって当時、空自はシビリアンの整備員を技官としては働かせていたのである。
しかし米軍従業員を引き続き空自で雇用するのは運用上いろいろ問題があったようである。


アリソンJ-33型エンジン(画像はお借りしました)右が前