幕末、明治初期の通貨制度の混乱
昨日の古文書を読む会のテキストは明治初期の外国との貿易通貨に関する情報伝達書のようだ。当時、日本の通貨制度と外国の通貨制度のすり合わせが行われてなかったので、現在の感覚で見るととんでもないことが起きていた。日本の金と銀の貨幣価値(比率)が外国と違っていたのでぼろもうけした外国の貿易業者がいた。
話は現代に戻るが、沖縄返還の時もドルの実勢価値と規定された交換比率が違っていたので、多額のドル預金(米国の銀行や沖縄の銀行に)を持っていた人はぼろもうけしたという。沖縄返還時、沖縄経済は超インフレだった。当時1ドルが実勢240円くらいなのに、360円で交換したのだから預金者は儲かったはず。沖縄の広大な基地はほとんど借地だったので借地料も莫大だった。現在でも基地返還を叫んでいる人がいるが、地元の人ではなく、現地の地主さんは声を上げることができないようだ。
むかし、昭和57年頃、地主さんの求めに応じ土地を返還したことがあったが、その後その地主さんは再び借りてほしいと陳情に来られたことがあった。

追々暖気に御座候得共、其の御地
御家内様益々御壮栄奉賀候
然らば久しく御無沙汰御勘弁
可被成下候 生糸不相替不印
洋銀日々大高下 二月中者五十
九匁弐三分迄引上げ追々下落
当節五拾四匁前後に御座候
一、極古壱分銀百両につき一旦三十両
中壱分十三両 新壱分九両より十両迄
取引 当節中壱分五両弐分新
壱分三両壱朱銀壱両位 追々
下落仕候
一、金札高直(値)四十三四匁之大下落
三十四匁 当節三十七匁前後
金札追々下落之様子
天保十一貫弐百文
一昨年之種 異人損耗相立ち風
聞も御座候得共全く慥かなる処
異人より承り候処 利分者無少
候得共 格別損耗之無くと申すこと
(以下略)