cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

20231002の病院ボランティア

今日の病院ボランティア作業は、連絡会議資料のコピー、医療情報検索支援のための待機、ボランティア連絡会議への出席、昼食後は、病棟への図書の配布と回収だった。


来週は医大生のボランティア実習支援がある。
大規模総合病院としては医療業務以外でも患者に対するきめ細かな支援が必要であり、医師以外にも社会福祉士などの専門分野の人々をそろえている。3年前、私がこの病院から退院した際も退院後の生活について社会福祉士の方から尋ねられた。当時私は要介護2で、家内はすでに施設に入居しており食事の準備はどうしたらよいか、見当もつかなかった。当時もあまり役に立ちそうもない長男がいたが、家族がいると訪問介護による食事作りなどの支援が受けられなかったのだ。社会福祉士の方は宅配弁当のカタログを持参しとりあえずこういう方法もあることを教えてくれた。実際は、しばらく宅配弁当のお世話になり、その後、長男と二人でなんとか食事造りができるようになった。


学生に対する病院ボランティアの仕事の実習は、以上の観点から入院患者への支援(トータルサポート)の必要性を理解させ、体験させるものだ。

東京ブギウギ

NHK朝ドラで、笠置シヅ子さんをモデルにした「ブギウギ」が始まった。戦後の笠置さん全盛時代を思い出す。私は小学生だった。今の音楽の感覚で見ると泥臭いが当時は戦後の混乱期であり、新しい歌と踊りだった。テレビなどない時代なので、歌はラジオから流れてくるのを聴いた。踊りは映画館で見るしかなかった。子供たちがこの歌を口ずさむと、母は、下品だと言って眉をひそめた。笠置さんの「東京ブギウギ」は劇中劇として他の娯楽映画にも取り入れられたと思う。私の記憶では、当時娯楽映画でヒットした日本映画「透明人間」の劇中でも笠置さんが歌と踊りを披露したと記憶している。 当時の子供達が口ずさむほどヒットしたのだった。



笠置シヅ子 東京ブギウギ

鎌倉散策

一昨日、鎌倉十三佛巡りの一番札所「明王院」を訪れた際、同行者に、過去に訪れたことがあるかと聞かれたが、記憶になかった。この10数年、母や家内の介護に気を取られて以前のことはほとんど忘れてしまっていた。一時、鎌倉ガイドになりたいと思っていたことも。昨日過去の写真を整理していると鎌倉ガイド協会主催のミニツアー参加写真の中に「明王院」を訪れた証拠写真が見つかった。その中の1枚に家内の後ろ姿も写っていた。家内は多系統萎縮症の発症前でまだ元気に歩けていた時期だ。


一昨日20230926の写真



13年前の20100224の写真、家内の後ろ姿、鎌倉グリーンテニスクラブの看板も同じ