cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

与那国島の洞窟探検

観光で与那国島に来た男性がガイド付きの洞窟探検中に亡くなった。雨で洞窟内が増水し身動きが取れなくなったのだろう。ガイドと奥さんは自力で脱出しているので3人が離れ離れにならなければ助かったのかもしれない。洞窟の中は昼でも暗いので照明器具が不可欠だ。閉所恐怖症の人はまず試みない方が良い。
与那国島ではたしか30年以上前に海中洞窟でのダイビング中に亡くなった人がいた。海中洞窟の中は暗いので昼でも水中ライトが不可欠だ。洞窟の中の底には砂や泥が若干でも堆積していることがあり、ダイバーが洞窟内に進入することによって砂や泥が舞い上がり、視界が完全に遮られ、それがパニックを引き起こし死亡事故につながることがある。狭い洞窟の中は伊勢海老のすみかでもあり、それを狙って入る人がいると聞く。むかしの私の同僚も複数人がこのような体験を語ってくれた。洞窟の中で水が濁り、出口が分からなくなりここで一生の終りかと観念したそうだ。しかし彼は落ち着きを取り戻し、じっとしていると自然に水が澄んできたので出口が見えたという。陸上でも水中でも洞窟に入るのは十分な注意が必要だ。


昭和53年に初めて与那国島に行ったが民宿に1泊 するはずが天候急変で航空便が飛ばず3泊する羽目になった。電話で休暇の延長をお願いし恥をかいた思い出がある。当時島内にタクシーはあったが、車のナンバーはついておらず(無ナンバー)、車の床に穴が(無車検証)あいていた。テレビの映像を見ると、現在は道路や空港などが整備され、ナンバーがついた車が走っている。隔世の感がある。よもや自衛隊が駐屯するようになるとは当時は思いもしなかった。離島のレーダー基地については、本土復帰以前から米軍は宮古島、久米島、沖縄本島、沖永良部島にレーダー基地を建設しており、復帰と同時に航空自衛隊が米軍から任務を引き継いだ。最近は北大東島にレーダー基地を建設するニュースが流れている。

20231011の病院ボランティア

今日は医大の2年生に対するボランティア体験学習支援を行った。学生に対し病棟への図書の配布と回収を体験させた。医療業務以外での患者に対する病院の様々なサポート業務を体験させることが目的の様だ。学生たちは仕事の飲み込みが速い。むかしの自分を振り返り同じ年齢だったころ、こんなに立派ではなかった。


テロ組織ハマスがイスラエルに大規模な奇襲攻撃を行った。綿密に計画された作戦であろう。優れた情報機関を持つと言われるイスラエルが事前に察知できなかったのだろうか。その理由が知りたいものだ。教訓にしなければならない。大量の人質を連れ去ったと報道されているので、今後対応が複雑かつ凄惨なものにならなければよいが。ウクライナ戦争を終結させるきっかけにできないだろうか。米国の空母戦闘群が地中海に入っているが、戦闘がエスカレートしないよう祈りたい。日本としては複雑な立場だ。

家内の実家の墓参り

家内の実家の墓は福岡県の大宰府にある。私たちが福岡に住んでいた時、40年くらい前、義母が亡くなった際に造った墓である。家内は一人っ子だったので家内が墓守をしてきた。家内の遺志は「九州の墓を頼む」とのことなので、私の生きている間は面倒見ることになる。義父母には生前何かとお世話になった恩もある。家内は義母と同じ年齢で亡くなったのだ。
この年末には長女と一緒に福岡に行って義父母の墓前に家内の死去を報告するつもりだ。
墓苑までの交通手段として福岡の天神からは西鉄電車を利用することもできるが、そのほかにも行きたいところがあるので、空港からレンタカーを借りていくつもり。夜になると道に迷いそうなので明るいうちにホテルに帰らねばならない。
この前家内と墓参りしたのは、2012年7月だった。その後家内の身体が急激に不自由になったので墓参ができなかったのだ。
福岡の基地に勤務中に永住するつもりで新築した自宅には、その後単身赴任が続いたので、結局私は一度も住民登録をしたことがなかった。私が東京に転勤後、子供達も東京と京都の大学に入学した。私は東京で定年を迎えたのだが家内は東京に住むことを決意したので、福岡の自宅は結局売却することになった。定年後、私は家内が福岡に帰ることを希望すると思っていたのだが、東京を選んだのだ。定年後に住む場所の選択権は家内が握っていた。家内の姉や親しい友人はみんな東京近辺に住んでいて親しく付き合っていた。
当時、私は福岡で再就職することが難しかったという背景もある。
福岡は40年前とは大きく変わっている。