cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

墓参り後、只見線から六十里越

19日早朝、車で自宅を出発し、故郷の墓地の改葬後の整地状態を確認した後、福島市を経由して会津若松市に移動した。途中「道の駅」など、平日にも拘わらず中高年の観光客が多かった。猪苗代湖や会津若松市は初めての訪問だった。いままで会津若松市は猪苗代湖の湖畔にあるものと錯覚していた。全く認識不足だった。
猪苗代湖の標高は514mで、会津若松市街地の中心部の標高は220m前後、300mに近い標高差がある。猪苗代湖の湖畔から会津若松市に移動する間に急カーブの坂道をうねうねと下って行った。ホテルに到着すると疲労から外出する気も起きず、夕食はホテル内のレストランで済ませた。「ソースカツ丼」が美味しかった。翌日の20日はJR只見線で会津若松発0608分の列車に乗らねばならない。0630に開くホテルの朝食バイキングに未練があったが、朝5時半にはホテルをチェックアウトした。紅葉の時期であり只見線の列車は混むものと予想されたので早めに会津若松駅に着いた。列車はディーゼルカー1両のみで、座席はほとんど埋まり、空席は少なかった。私は只見駅まで乗車し、長男は只見線に沿って車で移動し途中にある山(会津蒲生岳)に登りその後只見駅で私と合流することになっていた。
会津若松駅を出発する時点から霧が濃く、車窓からの景色は全く見えなかったが、1時間もすると霧は晴れ、車窓から周囲の景色が見えるようになった。列車はワンマンカーなので、運転手さんが車掌さんの役目を兼ね、無人駅では降車する人の乗車券を集めた。しかも途中で景色の良い場所ではわざわざ徐行運転をして観光案内も行った。運転手さんは写真の被写体として良い場所の説明までしてくれた。1年ほど前までは10年間ほど不通の区間があったので、沿線住民にとっては全線開通が悲願だったのだ。沿線で農作業などをしている方々は列車が通るたびに(一日に数本)手を振るので、乗客さんの方からも手を振ってほしいと運転手兼車掌さんから依頼があった。楽しくなごやかな、何度でも乗りたい3時間の旅であった。乗客はほとんど中高年の撮り鉄さんだった。
長男が登った「会津蒲生岳」は、「只見のマッターホルン」と言われ、標高は低いが険しいことで有名だ。山男の長男は多少舐めてかかったようだ。私が只見駅で待っていたので、焦ったのかもしれない。大汗をかいて下りてきた。思いのほか厳しい山だったようだ。
私は長男の到着を只見駅で待っていた。その間、駅前のレストランで朝食の「マトン丼」を食べた。長男の登山の状況は携帯で逐一確認していた。
長男到着後、小出に向けて出発した。途中に楽しみにしていた「六十里越」がある。険しい山肌に沿った狭い道、湖や渓谷に沿った景色抜群の場所などがある。途中工事中の場所も多く、工事用の信号機が設置されていた。長男はスピードを出すので冷や汗をかいた。高齢になってからはスリルは味わいたくない。魚沼市で昼食をとり、関越道、鶴ヶ島、圏央道、高尾山インターを経由して帰宅した。明るいうちに自宅に着いた。


整地された我が家の墓地の跡

いつも食事するレストラン

福島市から会津若松市へ移動の途中の「道の駅」

道の駅「猪苗代」から見た磐梯山

道の駅「猪苗代」

只見線の車窓から見える風景1

只見線の車窓から見える風景2

只見線の車窓から見える風景3

只見線の車窓から見える風景4

只見線の車窓から見える風景5

只見線の車窓から見える風景6

只見線の車窓から見える風景7

只見線の車窓から見える風景8

只見線の車窓から見える風景9


只見駅前から撮影した「会津蒲生岳」遠景、私の乗車した列車が会津蒲生駅に停車した時(午前9時ころ)は山の上の部分に霧がかかっていて撮影ができなかった。この写真は午前10時47分撮影した、その後、予報に反して天候が急激に回復した。 


会津蒲生岳山頂、長男がガラケーで撮影した

下山途中の風景




会津若松駅から只見駅まで乗ってきたディーゼル車、1両のみ編成、只見駅で停車時間が20分以上あるのでトイレや買い物ができる。写真は列車が駅から出発後に撮影したもの。

JR只見駅

駅の構内に掲示された説明版

六十里越の途中、助手席から撮影した只見湖