cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

2020年8月のブログ記事

  • 陣馬山に縦走する

    今年2月末に退院してから、体力回復確認の一環として高尾山周辺の山を歩いた。コースは自然と以前に家内と一緒に歩いたコースになったが、昨日も以前に家内と数回歩いたコースになった。陣馬高原下の集落から林道経由底沢峠に登り、明王峠、奈良子峠を経由して陣馬山に至り、登山道を経由して陣馬高原下に戻るコースであ... 続きをみる

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  • 安倍首相と潰瘍性大腸炎

    安倍首相はとうとう持病の潰瘍性大腸炎の再発で辞意を表明しました。 余人をもって代え難い人物であり残念です。 私事で恐縮ですが、私は昨年夏、年齢79歳にして潰瘍性大腸炎を発病し近隣の薮院に かかっていましたが回復せず、結局専門医のいる北里大学病院に転院し、 大腸の全摘手術を受けました。 術後は何事も... 続きをみる

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  • 母の熱が下がる

    昨晩から今朝にかけて、母の入居する施設から緊急の呼び出しがあるのではないかと心配したが、今朝9時ごろ施設から連絡があり、熱が下がった(36度9分)ので少し様子を見るとのことだった。食欲があまりないとのことだが母は80歳くらいまで私よりも大食であった。今でもよく食べるので長生きなのだと思っている。様... 続きをみる

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  • 大腸手術後の3ヶ月毎の定期検診

    大腸摘出手術後、私は3ヶ月毎に定期検診を行っている。毎回血液検査をして、主に腹の内部が化膿していないか確認している。今日の血液検査の結果は異状なかった。ストマ(人工肛門)をつけている人は、自分が排泄する便を毎回手に取って点検することになる。胃と小腸だけで大腸がないので、水分が多いのは仕方ない。食べ... 続きをみる

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  • 家内を国立病院に連れていく

    今日は家内の定期通院日である。長女をJR駅でピックアップした。家内の出発時間12時50分までにイオンのフードコートで昼食を採った。しばらく来なかった間にフードコートの内装が変わっていた。以前に家内と来たのは何年前だったか?最近は町田街道沿いのバイキング形式の木曾食堂を利用することが多かった。 最近... 続きをみる

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  • 新しいパソコンを買う

    今まで使っていた中国製レノボPCが使えなくなったわけではないが5年経過したので、日本製のBTOパソコンに買い替えた。レノボも並行して使っていく。BTOパソコンは構成品を選択できるので楽しみがある。そしてOS以外不必要なソフトが入っていないので、安い。しかし今回はオフィス2016が入っていた。安いの... 続きをみる

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  • 家内と電話連絡

    今日の家内の電話の声は、以前よりはっきりしていた。5分ほど話したが、論理も外れてなかった。これが本来の家内の姿だが時々わけがわからなくなる。家内の心配はいつも同じで満足に食事をとっているか?である。来週25日は国立病院への定期通院日なので長女とJR駅で待ち合わせ特養施設に家内を迎えに行く。往復の福... 続きをみる

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  • 終戦前後の思い出ー4(完)

    昭和25年頃から世の中が次第に落ち着いて来つつあることが、子供の膚にも感じられた。その背景には、米ソの対立が深まりつつあり、米国は日本の共産化を恐れ、日本の経済復興のために様々な優遇措置を図ったことがある。昭和25年6月には、ソ連のスターリン首相の承認の下、北朝鮮軍が韓国側に侵攻を開始し朝鮮戦争が... 続きをみる

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  • 終戦前後の思い出ー3

    昭和21年から24年くらいまでは、大変な時期だった。仙台市内の伝統あるマンモス小学校だったが、樺太、朝鮮、満州から引上げてこられた方々の子弟で小学校は溢れかえった。3部授業といって3グループに分けて授業した。学校に全員一緒に入れるスペースがなかったからだ。廊下や校庭でも授業した。先生方も軍隊から帰... 続きをみる

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  • 終戦前後の思い出ー2

    戦時中、父は祖父母に預けた私に時々会いに来た。当時日本本土を大規模に爆撃していた 米軍のB-29爆撃機は子供でも知っており、私は父にB-29の絵を書いてもらった記憶がある。父は絵が上手い方ではなかったが、子供の目には上手に見えた。終戦の年、昭和20年は祖父が60歳で鉄道を定年になるはずだったが、戦... 続きをみる

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  • 終戦前後の思い出ー1

    終戦時私は5歳、宮城県仙台市で祖父母に育てられていた。父は千葉県で航空機のエンジン製造工場に勤務しており、父母と妹弟は千葉市検見川の会社の社宅に住んでいた。祖父は鉄道省仙台駅の保線区に勤務し戦時の鉄道網確保の責務を担っていた。父の弟は独身20代半ばで徴兵されて南方に派遣されていたが、終戦の前年に戦... 続きをみる

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  • 墓の継承は大問題

    今の日本では、先祖の墓を継承していくのは大変だ。継承者が高齢になると、先祖の墓が近くにあればよいが、遠距離にある場合、体力の衰えに伴って墓参りが困難になる。代わりに誰かにお参りに行ってもらうわけには行かないし、墓の近くに引っ越すわけにもいかない。お寺さんに維持管理費をきちんと払っていても、清掃など... 続きをみる

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  • 家内に梅干・黒豆を差し入れ、とコロナ対策の強化

    昨日は、1週間前に家内に差し入れた梅干がなくなる頃なので、オレンジと黒豆と一緒に差し入れた。黒豆は家内の好物で正月には大量に作っていたが、今回は一人分なのでスーパーで袋入りを買ってきた。 今日は、家内の入居する特別養護老人ホームから、改めてコロナ対策が通知された。従来の対策に加えて、家族の施設への... 続きをみる

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  • 日帰りで墓参り

    昨日は早朝5時半に出発し、車で日帰り墓参りに行った。片道300kmあるので疲れるが長男と交代で運転するので可能だ。30年ほど前は、墓参りは生前の父(70歳台半ばから80歳台にかけて)と一緒に車で行った。当時父には安心して運転を任せられなかったので往復とも私が運転した。父は70歳台後半から小さな物損... 続きをみる

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  • 家内と電話交信

    今日は家内との電話による定期交信の日である。希望者に対する施設での面会ができかけたが、市から指導があり中止になったようだ。今日の家内は言語が明瞭でスムースに話が出来た。差し入れした梅干やオレンジはおいしく食べているようだ。元来お天気屋なので気分が良いと話が弾む。日曜日に長女と一緒に母の面会に行った... 続きをみる

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  • 先祖の住んでいた地方の地誌

    本籍がある地域の我が檀那寺のホームページを見ると、寺の由来が書かれていた。その根拠として江戸末期の古文書(当該地方の地誌)が示されていた。興味を持ったので、本籍地を管轄する市の教育委員会にメールして古文書の原本を閲覧できないかどうか聞いた。直ぐに返事が来て、原本は然るべき理由がないとお見せできない... 続きをみる

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  • 家内に梅干差し入れ、母の見舞い

    最近、家内の入居する特養から食欲がなくて困っているとの電話が入っている。施設のヘルパーさんからエネルギー補給にチョコレートを食べさせたいとの話もあった。家内は梅干がもともと好きなので、今日もオレンジと一緒に施設に持参した。長女もチョコレートを持参した。本人に直接は会えないので施設の玄関先で職員に手... 続きをみる

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  • 三宅島のダイビングスポット

    伊豆七島の東京都三宅島は黒潮本流に面し、海の色がどす黒い。透明度は一年を通じて抜群で海底の地形も豪快である。三宅島の中心にある雄山は明治以降50回も噴火しているそうだ。最近は2000年に噴火し、全島避難が発令され島民の本州への避難生活が長期にわたった。島内のダイビングスポットは何箇所かあるが、今日... 続きをみる

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