cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

沖縄慰霊の日

例年6月23日は、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日として南部の平和記念公園で慰霊祭が行われているが、今年は新型コロナウィルスの影響で小規模な開催になったようだ。
私の中学、大学の同級生にも沖縄戦で軍人の父を失った人がいた。昭和50年ころ私が沖縄に赴任していた時期にある親しい同級生が仕事の研修で沖縄に来た。彼の父は沖縄で戦死しており、父の戦死した場所に行きたい、という。生き残った部下が戦死した場所を覚えていてくれたので、地図を頼りに二人で探しに行った。その場所は、糸満市の真壁というところだった。現地に行ってみると、戦後30年も経っており戦場の風景が残っている訳もなく、農地と農家が点在していた。同級生は父の最後の場所というので感慨深そうにあたりを歩き回っていた。我々の年齢は当時30台半ばになっていた。南部の摩文仁に近い地域で戦死したということは沖縄戦の終結直前に戦死したことになる。真壁の近くに真栄里という地区がある。この地は沖縄攻略米軍最高指揮官バックナー中将が戦死した場所である。彼は、沖縄戦の勝負がついたと安心して油断したのであろうか、6月18日に前線視察に来た際に日本軍の迫撃砲の直撃を受け即死した。このニュースは、本土からの通信連絡で沖縄の日本軍にも知らされた。その数日後には、日本軍の総指揮官牛島中将が同じく南部の摩文仁の洞窟で自決された。

       現在の糸満市真壁地区の衛星写真、所々に慰霊碑がある

     糸満市真栄里、バックナーが戦死した場所に慰霊碑がある