cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

OBパイロットの死

昔、20代半ばで同じ飛行隊に勤務し親しく指導を受けた空自OBパイロットが亡くなった。最後に彼に会ったのは10年以上前のOB会であった。最近のOB会は同年配の人の参加が少なく、いつも参加していたむかし指導を受けた旧陸海軍出身者もほとんど鬼籍に入ったので自然に足が遠のいていた。

彼は昭和40年当時25歳、宮崎県出身で独身、スポーツ万能だった。そして私と彼とは生年月が同じだった。彼は宮崎県の高校から直接空自のパイロット養成コースに入ったが、私は大学校の4年を経由してパイロット養成コースに入ったのでパイロット資格を得るまでにほぼ4年の開きがあった。したがって私が実戦部隊に着任した時は彼はすでに超ベテランの4機編隊長(資格の名称)になっていた。私は僚機パイロットの見習いから訓練を開始した。

一番厳しい訓練は空対空射撃(12.7ミリ機銃)訓練で、標的への命中率が低いと教育部隊に配属替えになった。合わせて、現在は無いが北九州の芦屋射爆場で空対地射爆撃(ガン、ロケット、爆弾)訓練をおこなった。ベトナム戦争たけなわのころで米軍の戦闘爆撃機と同じ射爆場で訓練したので米軍からベトナム戦争の生の情報なども入った。

彼は教官操縦士の資格も保有していたので各種の訓練で彼から指導を受けた。指導は厳しいが普段は優しい人柄であった。空自定年後も彼は民間航空会社で若いパイロットの教育に当たっていた。70歳代になっても軽飛行機を操縦しているとの便りがあったので羨ましかった。また彼は昭和60年の日航機123便の事故の際、上空から救助機の管制を行ったことがあった。彼は、パイロットになるために生まれてきたような人だった。冥福を祈りたい。


空自のF-86F戦闘機、 写真をお借りしました。