cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

傘寿を過ぎてからPTSD?

最近、同じような夢をよく見る。いつもパターンが決まっていて、ある場所(職場)に戻りたいのだがなかなか辿り着けない。むかしは難なく行けたのに夢の中では交通手段が分からない、自分の車を探すがどこに駐車したか思い出せない、等々である。出てくる風景はむかし見慣れた風景である。よくよく考えてみると、現役時代、単身赴任が長かったのだが、その間、家族に会いたい気持ち(帰巣本能)強く、それがトラウマになっていたのだと思う。子供達も小、中、高生時代であり、進学などのこともほとんど面倒見てやれなかった。家内任せで父親失格だった。家族を帯同して転勤していた人もいたが、子供には度々の転校は負担だった。私自身も妹弟も、戦後の一時期、父の転職、転勤に伴って転校ばかりしていた。なので子供に負担をかけても当たり前と思っていた。喜寿を過ぎた高齢になってからは現役時代の人間関係のほか、戦闘機での飛行に関わる強烈な体験などでも軽度のPTSDに悩まされる。いつも何かに追われていないと落ち着かない。

戦闘機パイロットは高校或は大学卒業後、適性検査に合格したのち直ちに厳しい教育に入る。毎日が成績の評価を伴う訓練で、操縦技術の進歩が遅いと直ちに罷免の対象になり資格審査委員会にかけられる。人によってとっつきが遅い人と、とっつきの早い人がいる。時間をかければ目標に到達できる人であっても進歩が遅い人は排除される世界だ。約3年間の教育訓練ののち資格を取り戦闘機部隊に配属された後も、厳しい訓練が待っている。昭和40年代の初めのことだが、空対空射撃で好成績を残さないと戦闘機部隊から排除された。当時、毎回100発の弾丸を積んで標的にめがけて撃つのだが命中した数をもって成績とした。操縦技術のレベルによって命中弾数が決まる世界だった。

戦闘機パイロットは何歳くらいまで勤められるか?私は体力的に40歳くらいが限度と思う。仕事の性質は、プロの運動選手に似ている。常に最高のPERFORMANCEを求められるからだ。厳しい訓練に耐え抜いて獲得した資格に見返りはあるのか。それは訓練を耐え抜いた個人的な自信と誇りである。また当時給与面ではその階級の基本給の75%増しであった。当然制約もある。休日であっても情勢の変化に応じて非常呼集に応じられる態勢でなければならない。日本を取り巻く軍事情勢に変化があった場合、一般に公表される以前に先行的に作戦準備に入るのはどこの国の軍隊も同じだ。