cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

ドラマ「舞い上がれ」2

テレビドラマだから仕方ないが、今日のドラマ「舞い上がれ」を見ると、パイロット訓練生の実態とはかけ離れている。雰囲気がまるで違うのだ。フライトに対する真剣さが見えない。お嬢様学校だ。運輸省の航空大学校はむかし卒業生がエアラインに就職できない時期があった。エアラインは現在も自社養成を行っている。エアライン訓練生は最初から社員として採用しているのでフライトに対する真剣さが違う。日本の民間航空はエアライン以外はパイロットの需要が少ないのでエアラインに就職できない航大卒業生は他の職業に就いた。
若者がパイロットになりたいという強い希望があるならエアラインに応募するか、陸海空どれかの自衛隊に入りパイロットの職種に進んだ方が成功確率が高い。自衛隊に入ってもパイロット職種になるには厳しい関門がある。一方、自衛隊ではパイロットになっても定年まで現役パイロットで働けるのはごく一部の人を除き無理だ。経歴管理上、管理職に就いたり幕僚職域に回される。しかしパイロットの資格を有していれば、年次飛行という名称で技量を維持するため定期的に飛行する機会が与えられる。私は戦闘機パイロットになってから、若いうち(38歳まで)は戦闘飛行隊でスクランブル任務に就いていた。空自入隊から定年までの32年間のうち飛行機の爆音が聞こえない場所で勤務したのは定年前の7年間のみであった。最終飛行は1993年11月、定年の2ヶ月前であった。


写真は、T-34Aの次の訓練機T-1A初等ジェット練習機、富士重工製(A型のエンジンは英国製だがB型はJ-3という国産エンジンだった)
昭和38年6月-12月の約6か月間、福岡県空自芦屋基地にて  
軽攻撃機としても使用できるよう、機種には12.7ミリ機銃が2門積めるように設計されていた。
写真はお借りしました。