cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

遺族の生活の指針

母が亡くなってから1年過ぎたが、心の中にまだ生きている。母が生前常に口にしていたのが、兄妹は仲良く、だった。幸い兄妹4人とも元気なので時々連絡を取り合っている。戦後の厳しい時代に食べ盛りの4人の子供を育てた苦労は大変だったと思う。子供の頃の思い出は、食べ物に関する思い出ばかりだ。母は生活に才覚のある人だったので、兄妹4人とも大学に進むことができた。私以外は都内の私立大学だったが、当時自宅が日吉(横浜市港北区)、後に世田谷区下馬に転居、だったので自宅から通学ができた。下宿だったら父の収入では大学は無理だった。入学金など祖父からの金銭的援助もあったらしい。


家内の遺志はやはり家族のしあわせのことだ。長男が未婚で引きこもりなので一番心配していた。長男とは同居しているが仲良くやっている。生前の一時期、家内と長男と3人で山歩きに没頭した時期があった。ひと月に3回日帰りで富士山に登ったこともあった。それも富士吉田口、須走口、御殿場口からと登山口を変えた。家内も良く頑張った。


食事は3食とも長男が作ってくれている。長男は口には出さないが母の遺志は知っている。毎日、仏壇にお茶をささげるのを欠かさない。


日々の生活の指針は母や家内の遺志を受け継ぎ、健康第一、仲良く前向きに生活することだと思っている。