cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

入院中にテレビで聴いた童謡

少し古い話になるが、先般の入院中にテレビから流れてきた童謡が無性に懐かしく感じられ、童謡とともに昔の出来事などを懐かしく思い出したことがあった。コーラスグループで歌ったことがある童謡もあったが、日本の古い歌曲もあった。腹痛で苦しんでいた時期だったので、死期が近いのかな、とも思った。死期が近づくと昔のことが走馬灯のように頭を巡ると聞いたことがある。退院後も、美しく懐かしい日本の童謡を聴いている。
現在のリハビリの具体的目標は、山登りとしては小さな目標だが、高尾山に歩いて登れるようになることである。出来れば高尾山を経由して小仏峠から下る。何ということない近場のハイキングコースだが現在の私には大きな挑戦である。60歳のころは、午前中に高尾山に登って帰ってきたものだ。
私の山歩きは、60歳前後から始めた。きっかけは長女に勧められたからである。長女が勧めたのは高尾山のみである。最初は一家全員で登ったが、直ぐに長男がリーダーシップを取り、どんどん山行きの距離が延びて行った。最初に勧めた長女は、高尾山から先に進まなかった。長男はまもなく山男に変身し、日本百名山、三百名山、山梨百名山を登りだした。私と家内は、体力的に長男について行ける場合だけ長男に同行したが、ついて行けない場合はコースをショートカットしたり、別の山に登ったりした。1ヶ月に3回富士山に登ったこともあった。長男は毎週のように山に行き、単独行が多かった。この家族登山は我が家の歴史の宝物である。したがって家内は山仲間でもある。
家族との山歩きを始める前は、私は家族を省みることなく、ダイビングに勤しんでいた。元の職場の同僚たちとクラブ活動をリードし頻繁に伊豆半島、湘南海岸、伊豆七島、沖縄に旅行した。今考えると、なんて自分勝手な父親であり夫であったと思う。今からその埋め合わせが出来るかどうか。