cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

45年前に住んでいた沖縄の賃貸マンション

昭和50年から3年近く沖縄県浦添市にある賃貸マンションに住んでいた。このマンションは本土復帰前に米人向けに建てられたもので、洋式で土足で出入りするようになっていた。私たちが入居した時はすでに築後10年近く経っており、南国特有のヤモリとゴキブリも住んでいた。バスとトイレが一緒というのは初めての経験で使いにくかった。隣は、甲子園にも出場した浦添商業高校であった。
向かい側の家に軍属の米人が住んでいて、朝の出勤時に顔を合わせることが多く、必ず英語で話しかけてくるので、なるべく出会わないように玄関を出る時間をずらせたりした。仕事以外で英語は使いたくなかった。大東亜戦争史を読むと、マンションの周辺は最大の激戦地であり、慰霊碑が建てられている。また部落内の神社跡には弾痕が数多く残り、地面を掘ると戦後30年たっていても機銃弾が出てきた。
子供達は浦添市立の小学校に転校したが、楽しんで学校に通っていた。小学校の先生たちは教育に熱心で、生徒たちに心のこもった接し方をしていた。これは特に印象に残っている。

  45年前に住んでいた沖縄県浦添市のマンションの現在(グーグルアースから拝借)


      浦添市のマンション近傍の慰霊碑(グーグルアースから拝借)