cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

先祖の住んでいた地方の地誌

本籍がある地域の我が檀那寺のホームページを見ると、寺の由来が書かれていた。その根拠として江戸末期の古文書(当該地方の地誌)が示されていた。興味を持ったので、本籍地を管轄する市の教育委員会にメールして古文書の原本を閲覧できないかどうか聞いた。直ぐに返事が来て、原本は然るべき理由がないとお見せできないが、古文書を書き起こしした資料があるので、それをメールに添付して送るので、それを熟読してから原本の閲覧を申請して欲しい、とのことだった。原本は500ページくらいある。しかも地誌作成作業は、途中で明治維新になり作業は中止されているという。したがって最後のわずかの部分が未完成になっている。同文書には我が祖先が住んでいた地域の地形、農地の特色、住戸数、年貢の額、所在する神社仏閣の名前と由来などが多岐多様にわたって書かれていた。「坂の上に二十数戸の住居あり」と、このうちの1戸が我が祖先の家である。武家以外は名前の記載がない。もともと農家であった。
この地域は過疎地域なので、地誌に書かれた地域の外観は現在もそれほど大きくは変わっていない。特に高度成長期以前の終戦直後、私が国民学校1年生(小学生1年生)だったころは、地誌に書かれた風景そのままだった。天明の飢饉の時は大変な苦労をしたとも書かれている。飢饉を耐え忍んだ先祖の子孫なので、少々のことではへこたれない。

    現在の故郷の衛星写真、国民学校1年生だけ通った小学校が今でもある