cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

終戦前後の思い出ー4(完)

昭和25年頃から世の中が次第に落ち着いて来つつあることが、子供の膚にも感じられた。その背景には、米ソの対立が深まりつつあり、米国は日本の共産化を恐れ、日本の経済復興のために様々な優遇措置を図ったことがある。昭和25年6月には、ソ連のスターリン首相の承認の下、北朝鮮軍が韓国側に侵攻を開始し朝鮮戦争が始まった。米国は、韓国から軍事力を撤退させていたので、北朝鮮の金日正は韓国侵略のチャンスと見たのであろう。当時の新聞には、朝鮮半島の戦況とともに前線の位置が毎日図示されていた。マッカーサー書簡に基づき、警察力を補完するため当時の首相吉田茂は警察予備隊(現在の自衛隊の前身)を創設した。父は、警察予備隊の幹部要員の募集に応じ、警察予備隊の隊員となった。私たち家族は、昭和26年、父の最初の任地である東京に転居した。東京は未だ焼け跡が残っていたが、世の中は次第に新しい時代を迎えつつあった。戦後社会に最も影響を与えたのは米国文化であるが、米国は自国の思想文化を浸透させるために日本国内に様々な方式で米国文化を推進したのである。当時新聞の4コマ漫画は、米国の4コマ漫画が載っていた。現在は米国文化の影響を受けた日本独自の文化も発展しており、この流れは大きくは変わっていないと思う。

                 ミノカサゴ