cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

YS-11量産初号機のテーマパーク展示

戦後初の国産旅客機YS-11量産初号機(機体番号8610)がテーマパークに展示された。この機体は元々運輸省航空局が飛行点検機(航空機が運航する際に使用する航法援助施設などを点検する機体)として使用していたが、任務終了し平成11年に国立科学博物館に管理換になった。その後この機体は羽田空港内の格納庫で良好な状態で保存されていたが、このたび茨城県筑西市にあるテーマパーク(ザ・ヒロサワ・シティ)に運ばれ、一般公開されることになった。
この機体は、2007年に日本機械学会から機械遺産に認定され、2008年には日本航空協会から重要航空遺産に認定されたため、手厚い保存処置がほどこされてきたものと思う。展示機として良好な状態で保存する場合、場所代や整備費など維持費が結構かかる。野外展示などであまり手間をかけない状態で置いておくと、汚れが目立ち次第に無残な姿になりがちだ。自衛隊機などで野外に放置された状態の機体を見ることがあるが、むかし搭乗していた機体を見ると情けなくなる。用途廃止された機体も一応国有財産なので、広報の一環として官側から貸し出す形式になっていると思う。借りた方も美しく保存するよう努力してほしいと思う。
羽田空港から陸路で筑西市に運ぶ際には主翼やプロペラ、エンジンの取外しなどが必要だ。羽田空港での解体作業は公開されYOUTUBEにもアップされた。


YS-11は日本の航空機メーカーの復活をかけ各メーカーが一丸となって取り組んだ民間旅客機である。設計陣は木村秀正氏など当時日本の超一流の面々だった。私は昭和34年頃、機体のモックアップ(原寸大の木製の機体)を日本飛行機(株)に見に行ったことがある。当時パイロットを目指していたので興味深々だった。実際に飛行する機体を見たのは昭和40年頃で、まだ試験飛行中だったが、勤務していた飛行場に着陸した機体をまじかに見た。乗客として初めて搭乗したのは昭和48年だが、その後は仕事関係の出張でしばしば搭乗する機会があった。エンジンは英国製ロールスロイスで、振動が少なく、音も静かで乗り心地がよい飛行機だった。飛行中知り合いのパイロットに操縦桿を握らせてもらったこともある。




日本初の国産旅客機「YS11」の1号機を分解(19/11/15)




戦後初の国産民間輸送機「YS11」(量産1号機)の組み立て作業