cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「おもろさうし」

「おもろさうし」とは、奄美・沖縄諸島に古来伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集です。本土ではあまり知られていませんが、儀式のときに歌われる祝詞や声明のようなものです。万葉集にも似ていますが、色恋を歌ったものではありません。


「おもろさうし」は首里王府(琉球王府)が編纂し、1531(嘉靖10)年から1623(天啓3)年の間に成立。全22巻、1554首のオモロが収められています。1710年に再編された際に二部作成され、尚家(琉球王)とおもろ主取家(おもろの管理を任された家臣)である安仁屋家に伝えられたため、尚家本と安仁屋本系統とに別れています。現在琉球大学に保存されている仲吉本は仲吉朝助が所有していた安仁屋本系統の写本であります。


歌の対象は、琉球の王や按司(地方の領主)、聞え大君(王の妃)、のろ(神女)を賛美した歌(おもろ)が多いです。歌っている人々は当時でもおもろの内容までは考えなかったと思います。お経のように唱えただけだったと思います。それで明治になって文書を解読しようとしても、地元の人でさえ意味が分からず解読に苦労しました。


実は「おもろさうし」は明治期の琉球の政治的混乱によって散逸しかかっていたところ英国の学者チェンバレンによって発見されたのです。当時の日本人は、文化財に対する価値観がなかったのです。しかし外国人には解読困難とされ、日本人の中学教師田島利三郎氏が研究を引き継ぎました。その後田島氏(その後の事績は不明)は台湾に移ったため、おもろさうしの研究は弟子の伊波普猷(1876-1947)に引き継がれました。伊波氏でさえ難解で解読をあきらめようと思ったくらいです。伊波氏以外にもおもろを研究した方々がいますが、研究の幅と深さから伊波氏は「沖縄学の父」とされています。


戦後は、法政大教授外間守善氏(1925-2012)がおもろ研究を引き継いでいました。同氏は平成天皇に御進講申し上げ、琉歌の添削などを行いましたが平成24年に亡くなりました。 


琉球大学図書館に伊波普猷文庫があり仲吉本の写本が保存されています。


表紙「おもろさうし 一、二、三」全部で22巻ある



きこえ大ぎみがおもろ
首里王府の御さうし
嘉靖十年(注:1531年、琉球は当時中国の年号を使っていた)
第一





右ページ


第二十
くめすおもろ御さうし
天啓三年癸亥三月七日
第廿一
くめの二まぎりおもろ御双紙
天啓三年癸亥三月七日
第廿二
みおやだいりおもろ御双紙
共二十二冊


左ページ


あおりやへが節
一聞得大君ぎや
 降れて 遊びよわれば
 天が下
 平らげて ちょわれ
又鳴響む精高子が
又首里杜ぐすく
又真玉森ぐすく



以下は、おもろさうしの中で比較的有名な一節です。

巻七

左ページの後ろ2行目から


うちいではふへのとりの節

一天に鳴響む大主

 明けもどろの花の


右ページの最初の2行


  咲い渡り

 あれよ 見れよ

 清らやよ

又 地天鳴響む大主