cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

ダイビング仲間の死、最高のバディ

30年来のダイビング仲間A君が先日亡くなった。72歳だった。病名は聞いてないがパーキンソン病に似た症状だった。A君は3年ほど前から介護施設に入っていた。私がA君と知り合ったのは私がまだ現役の時で、東京に転勤してきてしばらくたってから「窓際」に配置され、余裕ができたので職場の趣味のグループ(マリンダイビングクラブ)に指導員として加入した時だった。クラブ員は50名くらいいたが、所属部隊は陸海空バラバラだった。A君は海上で私よりも10歳くらい若く新婚だった。当時、私とA君は自宅が町田と海老名とで近かったので、いつも土日は他の仲間と一緒に近場に潜りに行った。前にもブログ記事に書いたが江の島と小田原周辺がホームベースだった。月に1回は伊豆七島にも行った。私はダイビングの指導員資格を持っていたのでいつも引率役をさせられた。引率役とは民宿の手配などツアー全般の計画立案、竹芝桟橋から船に乗って行く島への人員の引率、島に到着後、島内の輸送車両の運転、ダイビングの安全指導(事故防止対策)と海中のガイドまでが含まれる。沖縄にダイビング旅行に行った際も本島内のツアーガイドもこなした。あくまで任意のクラブ活動なので報酬は無し。旅費は割り勘でした。

A君は北海道生まれ、子供の時から海辺で育ち魚採りが上手だった。海中での活動にも生まれながらのセンスがあり、指導員を良く補佐してくれた。A君は自宅車庫に余裕があったのでダイビング仲間の潜水器材を預かってくれていた。その後、奥様の話しでは、我々ダイビング仲間が高齢化し、クラブが解散状態になってからも一人で潜りに行っていたようだ。私はA君とバディを組んだ回数が一番多い。バディとは、常に相互に見える位置をキープし、いざというときに相互に助け合う仲間の事をいう。