cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

家内の通院に付き添う、言葉のやり取りができた。

今日は午前中、私は前立腺治療で通院し、午後は長女と一緒に2ケ月ぶりに家内の神経内科通院に付き添った。家内に長い時間(約3時間)面会できる貴重な機会である。施設の玄関で家内が出てくるのを待っていた。午後1時過ぎ車椅子に乗った家内が出てきたが目をつぶったままだった。機嫌はあまりよくないようだ。福祉車両に乗った後、言葉を交わした。山口の姉にお歳暮を贈ったよ、というと家内は、私が準備してたのに、と不満そうに答えた。余計なことをするな、という雰囲気だ。このような言葉のやり取りができるのは頭がクリアな証拠だ。私が、〇〇吉兆から和菓子を贈ったよ、というと、それなら良い、という。昔の家内の性格が出てきた。施設のヘルパーさんの話しでは、食べ物を飲み込むとき喉が痛いというので、今日の受診で主治医に聞いてみてほしいという。発熱はないので耳鼻咽喉科に行くほどのことではない。今日は神経内科の主治医に会ったとき、家内は自分からこんにちはと言った。主治医の簡単な質問にも答えていた。昔の言葉のやりとりが戻ったようだった。喉の痛みには抗生物質の入ったトローチを処方してもらった。家内も理解した。主治医の話しでは、発熱の外来の場合、対応が全く異なるという。長年家内の診察を行ってきた主治医なので、全体の印象で異常の有無が分かるのだろう。かかりつけ医師の存在の大切さがここにある。病院から帰るため福祉車両に乗る時、家内は私たちも同じ車に乗って帰るのか、と聞いた。直ぐに別れるのは嫌だったのだろう。帰りの車の中で家内は車イスからずり落ちそうな姿勢をとった。このような仕草をするときは何かに不満な気持ちがある証拠である。家内は別れたくない気持を表現したのだ。