cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

本土復帰50年の思い出ー2

沖縄の本土復帰に伴う自衛隊移駐について、一隊員としても様々なエピソードがあった。いままで米空軍が展開していた場所に空自が移動していったので、空自を例にとると、組織が米空軍と同じ構成であることから、米空軍と同じ職種の部隊同士が現場で入れ替わればうまくゆく。施設が同じような仕様でできているのでそうすれば移転業務がスムースに行くはずである。結果はそうすることで移転業務は円滑にいった。一部米軍部隊の移転が遅れ、長期間米軍と自衛隊が同じ施設に同居していた時期もあった。日米が相互に仕事を教えたり、教えられたりしたことが日米防衛協力に役立ったと思っている。米軍から自衛隊が任務を引き継ぐに際し、空白期間があっては一大事なので、一定期間は同じ勤務場所で24時間合同で同じ勤務を行っていた。
隊員が家族を帯同する場合、旅費がかさむ。沖縄の離島であれば引っ越し荷物の運賃も高くなる。沖縄の離島の場合、当時旅費規程の範囲外で、オーバーした部分は自己負担になったとの話も聞いた。
沖縄本島の場合、住宅の確保も問題だった。官舎は少なく、もともと本島南部は人口過密状態だったので、家族の住宅は職場から遠くても我慢せざるを得なかった。1階が居酒屋のマンションの2階に入った人もいた。私の職場は那覇飛行場内にあったが、住居は浦添市で通勤時国道51号線がいつも渋滞だった。居室は2LDKで米人向けに造られており、住みにくかった。ビジネスホテルのようにバスとトイレが一緒だった。家内は沖縄生活を結構楽しんでいた。子供を私に預け同僚の奥様と初の海外旅行で香港に行ったりした。
現在復帰50周年ということで、NHKなどが特集番組を組んでいるが、いずれも沖縄の負のイメージを強調する内容ばかりで違和感がある。地元のテレビ支局が編集するのでこうなるのだろう。