cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

20220912の病院ボランティア

今日は月一のボランティア連絡会議があった。
10月から11月にかけて医大生の体験学習を支援することになった。実際に我々が行っているボランティア活動を医大生に体験させる。
午後から病棟(精神科)への図書の配布と回収を行った。比較的長期入院の方が多く読書家もいる。今日は患者さんから要望のあった本を探し届けたところ感謝された。こういうことがボランティアのやる気につながる。


NHKの古文書解読講座の課題作業である。
慶長19-20年の大阪の陣で毛利家は徳川方に味方したが毛利家の一家臣(佐野道可)が内緒で大阪城に入り秀頼方に味方した、との逸話がある。この佐野道可の行動は毛利の密命によるものなのか、或は佐野道可の勝手な行動だったのかは現代でも解釈が分かれている。大阪の陣後、佐野道可は捕らえられて殺されるが、徳川は佐野の行動とは無関係の道可の二人の子供を召喚し問い詰めた。その時の申し開きを記した文書の解読が課題作業になっている。後世の人は佐野道可を毛利の忠臣とみるか、無関係とみるかで意見が分かれよう。当時(関ケ原後)は大藩の毛利と言えども徳川から疑いをかけられるのを極度に恐れたのである。


謹んで言上致し候、佐野道可大坂江罷籠り、落人と成り、切腹仕る、其上妻子御究めとして召上げられ候に付きて之条々
一彼道可輝元に勘気を蒙り御日から扶持をも被放之、大坂之木津之屋敷を拘致、上下兎角として終に輝元分国之住居難成、在京仕、今度石山籠申候段、子供於身上努々不存候 云々