cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

ドラマ「舞い上がれ」4

今日のドラマはロストポジションした同僚を仲間が助ける場面だった。飛行学生が操縦を学ぶコースは数名のチームに分けて行うのが通例です。ドラマでは3名が1チームになっているようです。大量養成が求められた昭和30年代ころの空自では10名前後のチームでした。
進度の遅い仲間を助けるのは当たり前で、操縦のコツやヒントをお互いに教えあいました。生まれながらにして操縦の上手な天才に近い人も稀にはいますが、大部分はそれほど差がありません。天才のアドバイスは凡才にはなかなか理解できません。凡才同士が助け合うのが一番です。操縦訓練コース全体を通じて何をやってもスイスイと合格し、何の苦労もなくパイロットになった人もいれば、どの機種でも苦労しながらパイロットになった人もいます。ペースの速い人も遅い人もゴールに到達すればみんな同じです。進度が許容範囲内かどうかの問題でこれは部内規定に定められています。


写真は昭和39年9月から昭和40年3月の間私が訓練を受けたF-86Fジェット戦闘機です。練習機ではありません。単座機です。現在は展示機でしか見られませんが、最初のブルーインパルスはこの機種でした。


写真はお借りしました。


私がかつて所属した築城基地第8航空団第10飛行隊のF-86F


ブルーインパルスのF-86F