cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

ドラマ「舞い上がれ」5

今日のドラマ「舞い上がれ」は、舞と同じチームの水島学生がプリソロチェックに不合格になり学校を去らねばならなくなった話だ。プリソロチェックとは単独飛行を許可できるかどうかを審査する。パイロットになるための最初の関門だ。空自でも同じだ。空自では少なくとも機種を3回乗り換えるのでそのたびに同じ関門があり、要求レベルも上がっていく。単独飛行の審査のあと、編隊飛行や計器飛行の訓練と審査がある。戦闘機の訓練課程を修了し実戦部隊に配置されると、空中戦闘や空対空射撃など作戦任務に必要な訓練を受けOR(Operational Readiness)チェックに合格して初めて実任務(スクランブル待機など)に就いた。
水島学生と同じような経験をする人は必ず出てくる。ここで温情をもって合格させると、本人が後に「自然淘汰」に遭遇することになる。自然淘汰とは航空機とともに自ら命を落とすことだ。注意力の強い人は一点集中になりやすい。パイロットは一点集中が最も怖い。むかしからパイロットの「六分あたま」といって、飛行中は頭脳の6割しか能力発揮できないと言われる。飛行中は簡単な暗算さえできないことがある。これは単座機の話しであり、正副操縦士のほかに航空通信士などが乗っている場合は若干異なる。
空自の場合、飛行学生よりも若く階級も下の教官に教えられることがあった。パイロット要員のソースが旧帝国陸海軍出身者、戦後の一般大出身者、防衛大出身者、高卒者が混在していたので、早く入隊した高卒の若いパイロットが自分よりも年うえで階級も上の学生の操縦教育をすることがあった。これは米空軍でも同じだったらしい。


私は昭和43年、F-86Fジェット戦闘機からF-104Jジェット戦闘機に機種転換した。F-104は当時最新鋭戦闘機で三菱重工業で生産中であった。現在のステルス戦闘機とは戦力的に比較にならないが、飛行システムの基本的構成は変わっていない。日本はF-104を防空戦闘機として運用したが、西ドイツ空軍は戦闘爆撃機として運用したため、事故で失われた数が多かった。WIDOW MAKERとも呼ばれ、西ドイツでは訴訟になったらしい。飛行マニュアルにも、着陸のための最終旋回時の速度について、WIFEのために5ノット、KIDのためにさらに5ノット加えるべしとあった。失速速度が高く着陸接地時の速度は150ノット(時速約280KM)以上だった。


写真は私が昭和43年から50年まで所属した小松基地第205飛行隊のF-104J。
写真はお借りしました。