cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

同郷出身の同期生の死

同郷の人だが小中高がそれぞれ別で大学で偶然一緒になった友人が先日亡くなった。彼は私と同年齢、高校は私の父や従弟の後輩で、学業成績が優秀だったので彼のことを故郷の親戚は皆知っていた。大学卒業後も彼と出合う度に故郷の話をした。お互いに国民学校(小学校)入学時期は終戦直後の昭和21年だったので食べ物に苦労した経験があった。実際は親が苦労したのだが。私は小学校2年生から父の職業が変わる度に、また転勤する度に学校を転校した。(小学校4校、中学校4校、高校2校に通った)
転校する度に教科書が変わり、進度も違った。それなのに母は勉強、勉強とうるさく、鬼のように競争心を煽った。弟や妹は私が苦労したのをよく知っている。私たち兄妹よりも数年上の世代の従弟たちは大勢いたが、彼らは転校することもなく、勉強も良く出来た。母が私をけしかける目標があったのだ。


私が故郷に実際に住んだのは終戦前後の2年間くらいだった。私と彼は、故郷に住んだ期間におおきな差があっても故郷を思う気持ちに変わりはなかった。
彼は学生時代から英語が得意だった。大学卒業後は迎撃戦闘機の管制の仕事につき、ベテラン迎撃管制官になった。私も彼の迎撃管制を受けたことがある。現在はシステムの自動化が進み、個人技がすべての時代ではなくなったが、ウクライナ戦争の戦況を聞くたびに彼はウクライナの防空システムがどう機能しているか気になっていたに違いない。
同郷のベテラン迎撃管制官の冥福を祈りたい。