cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

中野サンプラザ

中野サンプラザが閉館になって新たに生まれ変わるらしい。昭和20年代半ばに東中野に住んでいたので当時の中野駅付近の光景は小学生の目にも焼き付いている。むかしの中野区は農村地帯で小学校の授業でも都会と言うよりも都心の郊外としての特色を強調していたように思う。青梅街道沿いや国鉄の駅周辺は焼け跡に建てられたバラックが密集していた。夜の青梅街道は真っ暗だった。戦災で焼かれたコンクリート製の建物がそのまま放置されていた。
サンプラザ付近は木造平屋の警察学校の建物だけで他には何もなかった。朝鮮戦争の時代は、連合軍が提供するニュース映画を広場で上映したので、我々こどもたちはそれを見に行ったりした。朝鮮戦争をきっかけとして日本経済が復活したのは間違いないと思う。朝鮮半島の人々の犠牲に思いを馳せることも必要だ。
警察学校の広い講堂はいろいろな行事に利用されたのだろう。私が昭和32年、某大学を受験する際も、試験会場は警察学校の講堂だった。中野サンプラザの名前を聞くと、当時の受験風景を思い出す。