cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

地域の特色を示す記念碑の移設と署名運動

地元相模原市は、観光資源となるような歴史上価値のある文化財が少ない。踊念仏で有名な時宗旧総本山の無量光寺(開基、真教上人、1303)があるが交通が不便なのと周りに何もないので訪れる観光客は少ないようだ。この点、同じ時宗総本山の藤沢市の遊行寺(清浄光寺)は有名で訪れる人も多い。なにせ東海道に面しているので江戸時代から交通の便がよく、現代は小田急線及びJR東海道線藤沢駅から歩いても遠くない。相模原の無量光寺は忘れられてしまっている。
ただし昭和の時代になってから、陸軍士官学校の相模原移設など、軍関連施設が大規模に建設され相模原は軍都として発展した。したがって旧軍関係の遺跡は沢山ある。その軍関連施設の建設に伴って移転を余儀なくされたり、安い値段で農地を強制的に買収された人々も多くいた。農地を買収された農民は新たに荒地を開墾しなければ食べて行けなかった。現代では考えられない行政だが当時は非常時であり、地元は我慢を強いられたのである。戦後はどうなったかというと、旧軍施設に米軍が大挙して進駐し様々な用途に使用した。相模原市と座間市にまたがる陸軍士官学校跡地は、現在も米軍が座間キャンプとして使用しており一部の旧軍の建物は米軍がそのまま流用している(老朽化して旧軍の建物は徐々に減ってはいるようだが、文化財としての価値はあるかも)。演習場などは返還になった。神奈川県は沖縄県についで米軍施設が多い。
このような背景で建立された農地の開墾記念碑や戦後の畜産関係の記念碑が、相模線の鉄道と国道の立体交差に伴う道路拡幅工事で移転あるいは撤去を余儀なくされている。移転するには多額の経費が掛かる。現在記念碑を管理しているのは土地の所有者である農協であるが、移設に多額の経費がかかるので、撤去したい(現場で取り壊し)という。先祖代々地元に住んでいて、記念碑の由来を知っている人は少なくなっているが、是非移設したいということで一部の人が署名運動を始めた。