cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

車を車検に出す

今日は車を車検に出した。朝08時30分に整備工場に搬入し、1715分に取りに行った。新車登録から11年経った日産ノートで福祉車両仕様になっている。登録7年目の中古車を4年前に購入した。当時7年経っているのに走行距離はわずか14000kmであった。当時母や家内の通院の便宜を考慮し福祉車両を選んだが実際に電動座席を使ったのは数える程しかない。前のオデッセイに比べると燃費が格段に良く経済的だ。あまり長距離を走らないので燃費の良いハイブリッド車を選ぶ必要はなかった。現在積算走行距離は28700kmで年間平均走行距離は3600km程度である。今年初めに入院していた際は体力が極端に落ちたため車を運転することを諦めかけていた。退院したら車を処分しようと思っていた。しかし長男や妹に再考を促された。車を処分することによって行動範囲が狭められ頭の老化が進むと見られたからだ。退院して数日後、歩行が覚束無いのに車を運転して理髪店に行った。車の運転ができることを確かめたかった。腕力が落ちていたため、ハンドルが重く感じた。現在はほぼ元に戻っている。代車としてフル装備のスズキのワゴンRを借りたが、室内は広々して快適だ。軽自動車が売れている理由が実感できた。
最初に買った車は、昭和41年にいすゞのヒルマンミンクス1500であった。翌年に日産サニー1000に乗り換え、昭和45年にトヨタのカローラ1100、47年にカローラ1400、49年にカローラ1200、59年にブルーバード1800、平成7年にプリメーラ1800、平成17年にトヨタのイプサム、平成20年にオデッセイ、平成28年に日産ノートに買い換えた。車種を見ればわかるが車を選ぶ際のポリシーが感じられない。その場その場で必要と思った車種を選んでいる。車選びに失敗したと思ったことは一度もない。偶然だがよく売れている車を買ったのでよかったのであろう。昭和40年代の車と現在の車を比べると、軽自動車に限らず、進歩は著しい。自動車産業を日本の戦略産業に育成した先人の功績は大きい。
戦後、占領下、米国は日本を軽工業国、後進国にしようとした。日本が再起できないようにしたのだ。しかし米ソの対立が激化し、日本の共産化を恐れた米国は日本の産業振興を図ったのである。