cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

阪神淡路大震災の記憶

その日は出勤前のテレビニュースで地震があったのは知っていたが、被害の状況はすぐには判明しなかった。私はちょうど1年前に最初の職場が定年になり、その時は第二の人生が始まったばかりだった。以前は都心まで満員電車通勤だったが、新しい職場は田舎で車通勤に変った。距離も自宅から自転車通勤ができるほどの位置にあった。その日は7時少し前に自宅を出て、少し走ったところで7時のラジオのニュースを聞いたところ、アナウンサーがパニックに入っていた。話をよく聞いてみるとあちこちで火災が発生している、という。これは大変なことになったと思い、大阪に住む弟家族や京都に就職している次男が心配になった。その日は一日仕事にならず、被害対処がどのように行われているかに関心があった。職場(米軍)の方でも日本人従業員の家族などに被害者が出ていないか調べていた。
幸い弟家族も次男も無事であることが電話で確認できた。大規模自然災害としては戦後初めてではなかったかと思う。対応が後手後手になっても、ときの村山首相が「何しろ初めての経験じゃからのう」と悠然と語っていたのが印象に残っている。この時の経験がその後の災害対策の立案に生かされていると思う。地方自治体においては、今回の新型コロネ対策に際し、阪神淡路大震災の経験はもとより、熊本地震、東日本大震災の経験が生かされていると思うし、生かさねばならない。