cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

新十円札の国会議事堂

戦後、十円硬貨が発行される(昭和28年)まで新十円札が発行されていた。まだ覚えておられる方々も多いと思う。デザインは国会議事堂が描かれていたが、日本が占領軍の厳しい管理下にある戦後間もなくのことであり、紙幣のデザイン内容が日本を貶めているなどの陰謀論も流布していた。
私は当時小学生で仙台に住んでいたが6年生のとき(昭和26年)に東京に引っ越した。
子供にとって東京はあこがれの町だった。すでに母の兄姉たちは東京に住んでいた。引っ越して間もないころ、母に連れられて新宿区戸山町にある叔母の家を訪問した。その後、叔母の家に用事ができ、私一人で叔母の家を訪問することにした。母は東京(中野坂上)に引っ越して来たばかりの小学生が電車を乗り継いで叔母の家にたどり着くことができるか心配したが、私は自信満々だった。母に行き方を聞いたのち、中野坂上から都電に乗り、終点新宿駅西口で都電を下り、別の都電に乗り換えた。ここで間違えた。母も良く知らなかったのだと思う。当時、青梅街道方面から新宿駅の大ガードをくぐると、都電の浜松町方面行きの始発駅があったのだが、叔母の家に行くには伊勢丹裏の始発駅から万世橋行きに乗って若松町で下りねばならなかったのだ。私は浜松町方面行きに乗ったのでコースが違っていた。途中、都電の車窓からは十円札で見た大きく白い国会議事堂が見えた。この光景に感激して叔母の家に行くことなどどうでも良くなったことを覚えている。もうたどり着けないことが分かったので、浜松町から東中野まで国電(日本国有鉄道現JR)に乗り、東中野駅から自宅まで山手通りを歩いて帰った。当時東京の国電がまあるい山手線と真ん中を貫く中央線でできていることは小学生の私でも知っていた。私にとっては大きな冒険だった。


画像はお借りしました。