cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

本土復帰50年の思い出ー3

復帰当時のごたごたがあっても、ヤマトンチュ(大和の人の意)のわたし達は実利を追求する姿勢が旺盛でした。業務連絡でたびたび本土へ出張したのですが、お土産は当初安くて美味しいクッキー風の「ちんすこう」が人気でした。しかし毎回「ちんすこう」ばかりでは飽きられます。そのうち沖縄の海にしかいない美しい貝殻などになりました。また洋酒の関税が安かったので、洋酒を大量に持参する人もいました。当時米兵の中には基地の売店で日本人が好むジョニ黒を大量に購入し横流しする不届き者が居ました。米軍基地内の売店は米人しか利用できませんが、日本国内でたしか7000円くらいするジョニ黒が900円くらいで買えました。沖縄の町の酒屋で買って空港税関で税金の払い戻しを受ければたしか2000円くらいだった。晩酌は本土では日本酒党だったが沖縄では洋酒党、最後はあわもり党になった。
米人が多く住む地域では価格が円とドルの両方で表示されていたが、ドル建ての方が少し安かったように思う。
現在でも米人に限り米軍基地内の売店は無税で買えます。車も売っています。基地従業員であっても日本人は利用禁止ですがカフェテリアやコーヒーショップなどその場で食べきるものは五月蝿く言われません。
米軍基地への立ち入りは昭和50年当時、あまり厳しくなかったように思う。本島中部の海軍埠頭ホワイトビーチも「釣りに行く」と言えば通れた。