cho-kai-san811のブログ

連れ合いを失った老人のたわごとです。心機一転何らかの生きがいを見つけて前向きに生きたいと思っています。

20181022のデイサービス

今日は、デイサービスの出発時、腕時計とメガネが見つからずバタバタしたがそのまま出発した。今日は恒例の買い物ツアーがある日なので、小遣いを持たせる必要があった。家内の希望は、ファミレスで何か食べる予定であった。したがって小遣いは1000円もあれば良いのだが、4000円必要という。家内は何でも直ぐに紛失してしまうので、私が2000円もあれば良い、といったところ、今日のデーサービスはやめた、という。まるで幼児の振る舞いである。私は、迎えに来たヘルパーさんに事情を話して今日のデイサービスは中止にする、といったところ、家内も正気に返って素直に出発した。毎日こんなことが続くのだが、天真爛漫な行動なので、我慢できている。
昔、その昔、昭和38年3月、私たちは山口県で結婚した。その後、昭和40年から3年間、私たち家族は、福岡県の築上郡椎田町に住んでいた。子供は長女が昭和39年生まれで、長男はまだ生まれてなかった。家内は、実家が山口県で一人娘だった。事情があって、私は単身赴任中で、昭和40年3月まで、家内は家内の実家で生活していた。したがって長女は家内の実家で生まれた。その後、昭和41年に長男が生まれると義母(妻の母)は長女を実家に同居させて欲しいと言ってきた。そのとき家内は23歳であった。義母はそのとき62歳で、高齢で寂しいからという。家内は、当然子供は自分で育てる意思が強かったので、断りの手紙を何度も何度も書いたのを私は脇で見ていた。物心つかない子供を実家とは言え他人に預けるのは、家内にとって断腸の思いであった。私は仕事柄、転勤が多く、いつ何時、家族が家内の実家にお世話になるかもしれず、中途半端な気持ちで意思をはっきりさせなかった。それは今でも罪と思っている。